2020年3月、世界各地でコロナウイルスが流行し始めた頃、
短期でフィリピンへ留学に来ていた当時小学5年生の弟と一緒だったにも関わらず
私は今まで経験したことないような状況で日本へ帰国することになりました。
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緊急帰国までの話
弟が語学留学の為にフィリピンに来る
弟が来たのは2月後半、1ヶ月の語学留学を予定していました。
一週間ほど経つと語学学校にも慣れて現地での生活を楽しんでいました。
フィリピン各地でロックダウン
コロナウイルスが丁度流行り始めた3月に入って少し経った頃、
フィリピンでは各地域でロックダウンが発表されました。
(ロックダウンされてしまうと、フィリピンに出入り出来なくなります。。)
今まで経験した事ないような状況の上に、弟も一緒だったので心の中ではプチパニック。
弟の不安を煽らないよう、冷静に行動しているふりをしていました笑。
弟と同じ語学学校に通っていた数名の生徒たちは早々と航空券を取って帰国の準備をしていました。
しかしこの時点では私が通っていた大学の今後の方針も分からなかった上に、
借りている部屋もあったので
私たちはまだ帰国するか迷っていました。
フィリピンは厳しい外出制限があり、私たちは引きこもり状態。
帰国を決めた
そしてロックダウン開始から2週間後、私は語学学校のマネージャーに呼ばれたのでオフィスに行きました。
マネージャーからは
『2日後にフィリピンの政府がマニラ(首都)までの緊急ジェットを用意してくれるから帰国しないか。』
と言う提案でした。
流石に弟をこれ以上この環境に置いておくのも可哀想だと思って私たちは帰国を決めました。
ジェット機は私達がいた地域(ダバオ)から首都(マニラ)までだったので、
マニラから日本までは各自航空券を準備するよう言われていました。
(マネージャーは韓国人だったので、私は別で弟と2人分の日本行きの航空券を予約しました。)
帰国当日
いつフィリピンに戻れるか分からない中で必要な物をキャリーケースに詰め、
部屋を片付ける暇もなく空港へ向かいました。
集合時間は午前中だったのでその時間に間に合うように空港へ向かいましたが、
実際に飛行機が出発したのは夕方。
マニラに着く頃には日が暮れていました。
私たちの乗る予定だった飛行機は、翌日の早朝便だったので夜は空港のベンチで過ごしました。
予想以上にお店が閉まっていて、食料も何も無かったのですが
偶然マレーシアに帰国する途中のおじさんと仲良くなり、
マレーシア産のカップラーメンを分けてもらいました。
ほんとに美味しくて、助かりました!!!
そして朝方5時頃、チェックインをしようとカウンターに行くと…
事件1
全く想像していなかった事件が起きました。
私たちが予約していた飛行機は香港経由で日本に帰るチケットだったのですが、
コロナウイルスの影響で香港の身分証明書を持っている人以外は
香港での乗り換えも許されていなかったのです。
(いつも、安さ重視で航空券を取る癖があったので、ついつい何も気にせず取ったチケットがこれでした。涙)
もう大パニック笑笑。。
早朝から母に電話し、至急JALの航空券を取り直しました。最後の2席でギリギリセーフ!
予約した航空券が異常に高くてびっくりしました。
(空港で寝泊まりはもう散々で…どうしても早く日本に帰りたかった。。。)
予約できた便は翌日の昼の便だったので流石にホテルに泊まろうって事で、予約したのですが…
マニラ中が地域ごとにロックダウンしていたのでホテルまでたどり着けず。。´д` ;
諦めて、空港でもう1日寝泊まりしました。
そしてようやく、私たちの飛行機のチェックインの時間です。
事件2
チェックインのために予約時に届いたメールを確認します。
私は、思わず目が点になりました。
え。。。。。ビジネスクラス??!
最後の2席はなんとビジネスクラスだったのです。
どうりで高かった!!!
フィリピンから日本は4時間程度なので、飛行機もあっという間。笑
無事帰国
遂に飛行機に乗ることが出来、やっとの思いで辿り着いた日本でした。
終わりに
安倍さんから頂いた私と弟の10万円は飛行機代として消えましたが、
今となってはいい思い出です。
想定外の散々な出来事ばかりで心臓に悪い3日間でしたが、なによりも弟が駄々ひとつこねずに言うことを素直に聞いてくれたのが唯一の救いでした。ありがとう:)
そしてまた、弟との絆が深まったのでした。